「先ほど言ったアイデンティティー政治の問題にしても、インターネットという強力な
拡声装置ができたことによって人々の声が社会に反響しやすくなり、問題を深刻化させた面
はあります」


逃走は「漏れる」 水たまりから新たな生態系も
 ――アイデンティティー政治が今、主に右派的・保守的な人々の問題として現れている
としたら、それはなぜでしょう。

 「再分配と承認という問題系があると見ています」

 「再分配とは、お金持ちや大企業から多く税金を取って貧しい人々に回すことです。
ただ再分配の大事さを強調する政治勢力は、新自由主義の台頭するサッチャー・レーガン
以降の世界では押される一方でした。そうした中で革新勢力は、再分配ではなく承認の問題
に力を注ぐようになります。マイノリティーでも主役になれる社会、少数派の
アイデンティティーが大事にされる社会を作ること。つまり、社会的な承認の問題に軸足を
移したのです。米国でのオバマ大統領の誕生は、革新勢力によるアイデンティティー政治
が成功した事例です」

 「承認の問題を大事に考えること自体には意味があったと思います。ただ、いま世界が
直面しているのは、そうした革新勢力の取り組みが裏目に出た事態です。右派的で
保守的なアイデンティティー政治が台頭したことです」

 「先ほど言った『米国の主役であるはずの白人男性であるオレが威張れず、少数派の連中
が威張っている事態は許せない』と憤る人々がその典型です。マイノリティーではない、
カギカッコつきの『普通の人々』が、強烈なアイデンティティー政治を始めたのです。
そこには『白人である』『男性である』というアイデンティティーへの固執があり解毒が必要
ですが、洗脳を解く作業に近い難しさもあって簡単ではありません」


 ――国家の持つ再分配機能に頼ろうとすることと、旧来的なアイデンティティーから
逃走しようとすることは、両立するのでしょうか。

 「そこは僕は段階論的に見ていますし、両立は可能だと思っています。とりあえず今は
国家というものがあり、現実的にはその存在を無視はできません。ならば、まずはそれを
使って、行きすぎた格差拡大を抑える。または国家同士をグローバルに連携させて、
多国籍企業にまともな税金を払わせる。そのようにして、国家を使って資本主義をある程度
コントロールすることは、中期的にはやはり必要だと思います。もちろん、それがすべてを
解決するとは思いませんが」

 「国民国家(ネーション・ステート)には確かに、ステートという統治体制の正統性を
裏付けるためにネーションという『国民共同体の神話』が貼り付いている構造があります。
ただ他方では多文化主義が広まったことによって、世界は『沖縄の文化』や『手話の人々の
文化』といった数多くのマイノリティーの文化が併存する場所であり、大ぐくりな
『日本の文化』なるものはもはや存在しないという考えも共有されつつあります。
グローバルIT資本主義の進行は、韓国のBTSのような『東洋のグループが世界的スター
になる』現実も生みだしました。旧来的なアイデンティティーは相対化されつつもあるのです」