>>322
〉非存在が善悪判断の対象になり得るかどうかにまだ批判者は答えてないんだよね

すいません私は当事者でなくその話はよく知らないですが、功利主義的な「善悪判断」の対象についてなら、むしろ「非存在しか善悪判断の対象にはならない」といった方が、正確です。

功利主義的な思考による限り、ある行為・選択の善悪は、それがもたらす結果によって判断されます。
そして、結果とはすなわち「未来の可能世界」
であり、未来は定義上「非存在」です。
厳密に言えば、現に選択がなされていないなら、その選択自体も「未来の可能性」で、非存在です。

別に屁理屈でも逆説でも何でもなく、我々は常に「Aを選択をしたら、どんな結果になるか(可能世界A)」「Bを選択したら、どんな結果になるか(可能世界B )」を比較しています。
意識的にであれ無意識にであれ漠然たる想像としてであれ、むしろ、そうしないことが難しいのが実情です。
で、大抵の人は「総合的に(一定の幅の時間を総合して)どちらが自分の利益になりそうか(自分の最大幸福)」を想像して選択の基準にします。
倫理学説としての功利主義は、「最大多数の最大幸福」を選択の基準にしろと要請します。
倫理学説としての反出生主義は、「最小苦痛」を選択の基準にしろと要請するように思えます(思えますというのは、実のところ何だかよくわからないからです)。

で、これがどうにも理解されづらいようですが、現に生きている人(私やあなた)の未来であれ、生まれていない人の未来であれ、未来である限りは「非存在」であることに、何の違いもありません。
善悪判断の対象は「未来の可能世界=非存在」であるほかないので、その点では生まれた人についてでも生まれていない人についてでも、本質的な違いはありません。