>>325
〉生まれなければ苦はない
生まれない事で損なわれる快はない

厳密に言うと、快や苦は、瞬間瞬間の状態・現象なので、「損なわれる」ことは、有りえません。
普通は「ずっと気分が良かったのに、嫌なニュースを聞いて一気に落ち込んだ」ようなとき 「快が損なわれた」「快が奪われた」と表現します。言語の構造上の必然ですが、しかし、ニュースを聞いた時点で「気分が良かった時間=快」はすべて過去です。過去は変更不可能であり、損なったり奪ったりは原理的にできません。未来の快は非存在なので、非存在が非存在のままだったとしても、奪ったことにはなりません。

この理屈でいうと、当然「生まれないことで損なわれる快がない」のと同様、「生まれないことで損なわれる(防がれる)苦もない」というしかありません。

もしも、「未来に快が存在する可能性があったのに、ある選択の結果存在しないことになった」ことをもって
「快が損なわれた」と表現するなら、生まれない事で損なわれる快は、ある」と表現するしか、ありません。むしろ
「生まれなければ快も苦もない」
「生まれない事で損なわれない快も苦もない」
と表現することになります。

とにかく、快苦は対称概念で、非対称性などどこにもない以上、この種の論理をいくらこね回しても、何も生まれようがないのです。