>>116
いや、概念として「死」と「無」、「死」と「生まれない」が違うのは、当たり前です。 
(違わないなら、言葉で区別する理由がありませんw)

肝心なのは、未来に対する効果として「死」と「生まれない」が全く同じ、「無だった未来が無のままになる」選択だということです。

通常「死ぬことは、存在していた未来が無に変わってしまうこと、未来が失われること、未来が奪われることだ!」と感じられて、そのように表現されます。これは心理的には無理からぬことで、ほとんど必然です。

なぜそうなるかといえば、誰であれ生まれてこの方「未来は結局現在(存在)に変わった」という経験をし続けていて、一度の例外もないからです。(例外があったらその人は今生きていないので、当たり前なのですがw)
その結果、「次の未来も当然現在に変わるだろう」と考えて、常にそれを前提に考え行動します。その結果、「未来」はほぼ「存在」同然とみなされるようになります。

別の面から言うと、自分の未来は内容的に概ね想像がつきます。要は今の自分の延長線上にある何かです。またその内容は、細部まで非常に具体的な切迫感をもって迫ってきて、予想や計画や、期待や希望や不安や心配の対象になります。
その結果、「自分の死」を想像したり、実際に近しい他人の死を経験したりすると、「未来が無に変わってしまった、失われた、奪われた!」と否応なく感じられることになります。

しかし、厳密に言えば、これらはすべて心理的な錯覚です。未来はどこまで行っても非存在で、非存在のままになる可能性は常に開かれています。これを昔ながらのことわざで言うと「一寸先は闇」です。