>>768
〉「生まれる前」と「死んだ後」は同じだが、
「生まれない」と「死ぬ」は違う

反出生主義の文脈では、違わないのです。
思うに、これが理解されないのは、存在するのは「現在」だけで、「過去」と「未来」は非存在=無である、という事実が、根本的な直感と言語による思考に反していて、非常に理解されづらいことに起因します。

ちょっと考えればわかりますが、「昨日の私」とか「明日の私」は、存在しません。中島義道氏風に言えば「この宇宙の隅々まで探し回っても、そんな物は見つからない」のです。過去の記憶とか、経験とか、知識とか、一定の歳を取った身体とか、それらはすべてあくまでも「今の私」の一部です。同じように「未来の予想、計画、希望、不安」等々も、「今の私」の一部です。
ちなみに、昨日と明日を一秒前、一秒後に置き換えても、原理的には同じです。一秒前の私は今では永遠の無の中に消え去って二度と存在しません。一秒後の私も、宇宙のどこにも存在しません。
存在するのは「今の私(世界)」だけです。

「生きる」というのは、要するに「今存在する生命が、次の瞬間にも存在する」「未来に向かって瞬間ごとに生まれ続ける」ということです。図式的に言うと
1「生まれない」=「☓→☓」
2「生まれる」=「☓→○」
3「生きる」=「○→○」
4「死ぬ」=「○→☓」
となります。

本当は、矢印の左側は次の瞬間には過去なので、厳密にはすべて☓であり、どっちみち選択不能なので、倫理的には問題にしても意味がありません。選択の対象として問題になり得るのは矢印の右側だけです。

反出生主義は、要するに「○は、その内容のいかんに関わらず苦を含むから、悪である。従って1は善で2は悪である」と言っているだけです。
それなら、同じ理屈で、3は悪で4は善となるのは理の当然で、なぜこれを認めないのか、さっぱりわかりません。