>>446
ここにある「すべての事物」には他者の意識も含まれるのでしょうか。
他者の意識(主観)を客観化するということが私にはいまいちピンとこない
のですが、
他者の意識は存在しないことを前提にしているのであれば、
あるいはそれもアリになるのかもしれないとか思ったりします。
「他者の意識は存在しない」の「意識」と「意識のネットワーク」の「意識」
とでは微妙に意味あいが違うのだろうという気がしたりします。

いずれにしても時計さんが想定している「意識のネットワーク」は
私が想定しているそれと違う気がします。
私が想定している「意識のネットワーク」はおそらくそのものをとらえる
ようなことができないものです。
たとえば「量子」は、その振る舞いを記述することができても(イージープロブレム)
そのものを感覚的にとらえることはできないものです(ハードプロブレム)。
「意識のネットワーク」もまた、それを想定することによって
たとえば物質とか生命とかあるいはクオリアなどを説明することが可能になる
(と私は信じている)としても(イージープロブレム)、
そのものを感覚的にとらえることは出来ない印象です(ハードプロブレム)。
そもそも「意識」というものの実態が感覚的にはとらえることのできないもの
であり、「意識のネットワーク」というのは「量子」と同様に仮説の域を出ない
ものです。
また、このことこそが意識のハードプロブレムがハードであることのゆえん
だと思います。
ただし、量子のハードプロブレムや意識のネットワークのハードプロブレムが
正当なものであるのに対し、いわゆる意識のハードプロブレムは誤謬に基くもの
と考えるのが私の特徴です。