>>595
ところで突然ですけど、
私からはanonymouseさんはゴリゴリの近代人のように見えています。
理性の申し子であるがごときです。
自然は最終的には記述可能であることが前提になっていて、
とにかく「知」に対する信頼を感じます。
以前「いつも何かを見落としている気がする」というような投稿がありましたが
あるいはじつはその時点でanonymouseさん自身は何を見落としているのか
わかっているのかもしれませんけど、
とりあえず私が率直に感じるのは「知」に対する懐疑です。
私としてはそれがないと下手をすれば後手後手になる気がするのです。
「知」とは何かはおさえておきたいポイントです。

じつは私がここでやろうとしていることもたぶんゴリゴリの近代的思考です。
しかし私はそれが普遍ではないことを知っているつもりです。
そこでアホの言い草になりますが、言語ゲームをエンジョイしよう
になるわけです。
一方で超球面さんの主張には後付的なものをかんじます。
存在は超ひもとして理解するよりもそれを包含し得る超球面として理解した方が
汎用性が高いのではないか、
しかし外部から見ると存在は超球面として創られたわけではない気がするのは
必定です。
ただ、彼は学者ではなく技術者のようですから
知識は道具であって使えればそれでいい、
つまり使えれば後付でもなんでも良いというスタンスです。
もっといい道具があればそっちを使うということです。
(それだけではないからここに投稿しているのだろうとも思いますけど)

私は大切なのはスタンスを「しっかり」とることだと思う、
差し出がましいですが、ご参考にしていただけましたら幸いです。
上から目線ですいません。