自分の論を擁護するけど、

同一律、矛盾律、排中律はなぜ3つなのか?
→わからない
古代ギリシャの哲学者があれこれ考えて3つにまとめ上げたから
(これ自体がすさまじいことだが)

否定を表す語は数あれど、
良く使われる基本的な否定の語は数えるほどしかない
→
基本的というのは、良く使われ、それだけ汎用性があるということだ、つまり、数少ないケースにだけ使えるのではなくて、多くのケースで用いられるということ、
それだけ素朴な概念だということだ
否定の語を最初に考えたのは古代中国人だが、
古代の生活の中で、自然と浮かび上がってきた否定の語は、名づけられ、形を与えられ、それが現代まで受け継がれている、ようは経験則としてかなりの確度をもっている
無を否定と結びつけただけでもすさまじいと思う
無を0という記号で表したインド人のすさまじさと同じものを感じる、(たぶんそいつは狂っていた)

まあそれで、なぜ否定の語は一つではないのか?NOTひとつでいいではないか?
こう考えると、否定の語がいくつもある理由を考えるのに意味があるとは思えないだろうか、

おそらくだけど、肯定は一つしかないが、否定はいくつもある
そう狂った俺は直観している