>>128
存在について、時計さんの場合、存在は認識されて初めて成立する
という、一方では一般的な考え方に基づき
時計さん自身が経験できない他者の意識は存在していない
というふうに展開されるようです。
この考え方に対して、私には決定的な反論をすることができません。
実際に私にしてみれば、時計さんの意識が実在するということを証明することが
できません。

それに対して私は「私以外にも意識は存在する」と主張していたわけですが、
その根拠は直観的なものです。
私のかんじでは、存在とは、関係を持つことの過程で成立できるものであって
つまり関係のないところ、何かがひとつしかないところでは成立できない
という感覚があります。
意識の中に生じる「表象」は、何らかの関係の過程で生じているのであって、
となるとこちら側に対するあちら側を想定するのが妥当のように思えるのです。
このとき意識はこちら側としてしか成立できませんから
あちら側が本当にあるのかどうかはわかりません。
あちら側はこちら側が絶対に経験できないものということになりますし、
また、あちら側というのがどのようなものなのかもよくわかりませんが、
しかしそのようなものを想定しても、問題が起こるどころか
むしろ認識上では整合するという印象を持ちます。
その印象は絶対的な根拠にはならないかもしれませんが、
「他者の意識は存在する」と言い切っても差し支えはない
とデマカセを言ってもほぼ大丈夫という判断です。
「私以外にも意識は存在する」という主張はデマカセだった
というネタバラシです。