>>396
私が体験している世界には秩序を感じます。
さらに、その秩序には必然性を感じます。
物体の運行や生命の営みなどは偶然だけでは済まない気がするということです。
そして、そのような秩序とその必然性は、
この世界の私が体験している領域の外側に由来するという感覚があります。
それは私が個人的に世界に秩序を見出しているということだけでは済まない
ということ、
また、この世界には私が体験できない領域があるであろうということが
直観的なものながら暗黙の前提になっています。

たぶん、ここまではたいていの人には同意が得られるかんじです。
しかし私の印象として、あるいはひょっとすると哲学者の一般的な印象として、
たいていの人は自分が体験できない領域についてのイメージを漠然とながら
持っているけれども、それは得てしてリアルではない、むしろ錯覚している
ということがあって、
私はそのような印象をもとにして多くの人たちの一般的な日常体験を
とりあえずながら「仮想現実」と表現しています。
甚だ僭越なもの言いではございますが、
真実というのは容赦が無いものと私は認識しております。

つまり、私が日常体験を「仮」とするのは
意識の内部と外部とのあいだにズレがあることを前提にしてのはなしです。
それに対して時計さんは「意識に外部は無い」とされてきました。
すると時計さんの世界観では内部と外部とのズレもないことになるでしょうから
私の理屈だと時計さんの日常体験は「仮」ではないことになります。
私にとって、意識の内部に現れているものはその外部の仮の姿ですが、
時計さんにとっても世界が「仮」だとすれば、それは一体何の仮の姿なのか、
さて、せっかくなのでご参考までにうかがってみたいのですが、
いかがでしょうか。
今更ながらよくわかっていなかったのでした。恐縮です。