>>698
例によって当てずっぽうな話ですけど、
その「3つ目」はどこ(?)にあるのか、
私の印象では、実現されている世界を意識の内側と外側とに分けるとすれば、
それはどちらかといえば内側にある気がします。
あるいは微妙な言い方をすると、その答えは超球面さんが存在しなければ
その答えもこの世には無いと言うようなものだと思うのです。
あるいは「存在」が「認識」と切り離せないように
「答え」は「考察」と切り離せ無いというかんじでしょうか、
そこで私は「考察」とは何なのかを考えたいと思うのです
(ここで展開してきたつもりです)。
形而上学とはじつは「自分の正体」が裏テーマ
のような気もするのです。