私は折りに触れ、悟りは虚構ということを言ってきました。
悟りとはある種の錯乱であり、
例えば夢や幻覚や炭酸飲料のシュワシュワ感に宗教性を見出す文化があるように
南アジアあたりにはある種の錯乱に宗教性を見出す文化がある
ということだと考えています。
ただしかし私としてはやっぱり胡蝶の夢があって、
カントが言うところの純粋理性も錯乱ではない保証は無い気がするのです。
酩酊おおいにけっこう、もともと私たちにはまともな思考力は備わってはいない
てか、真理はもしそれがあるとするならば、理性の外側のような気がします。
あるいは理性を成立させた領域です。