真理探究を行う哲学と、初めに正解ありきで自説の正しさを証明する護教学(宗教)がある。

例えば仏教とキリスト教があったとして、哲学者は仏教とキリスト教双方を検証し、それぞれどれくらい確からしいかを考える。

護教学者は初めに正解ありき(ここでは仏教という正解又はキリスト教という正解)で、自説の無謬性(こちらが正解でそちらが誤り)を譲らない。

「反出生は間違っている」さんも彼と論争する反出生の人たちも、哲学的姿勢ではなく護教学的姿勢が感じられる。お互いに無謬性を譲らず、真理探究に興味・関心がなくいかに相手を論破して自分が正しいか証明することばかりに興味を持っている感じがする。

それは哲学ではなく宗教だ。だから何?と言われればそれまでだが。