>>358
私が問題にしているのは「自然」ではなくて
それを理解しようとする「理性」の方です。
例えば毎度お馴染み「色即是空」、これは理性で理解するものではありません。                                                                                                                                                                                                                                                           
例えば私は「何も無いということは何かがひとつある」としてきましたが、
これは理性的な解釈であり、般若心経の「色即是空」とは違います(たぶん)。
「色即是空」のリアリティは「夢の論理」のようなものによって与えられます。
「理性」に対する「狂気」です。
夢の中では現実で成り立たない理屈でもヤケにリアリティがともなうことはありませんか?
すげえことを思い付いた気がするけれども目が覚めると何じゃこりゃになる あの感覚です。
修行僧などは何らかのストレスの果てに精神錯乱を起こす、それを悟りとする、
仏教というのはそういう宗教です。
しかし老子のようにもう一歩踏み込むと、ゆめもうつつも本質的には違わない、
理性が本当で狂気が間違っているという究極の根拠は無いということになります。
あるいは理性は狂気の一種であり、日常で有効になるだけのものです。
そこで「有効」とは何なのかが問題になります。