>>72
精神と物質は循環する一例になる。意識に物質が包含している、というのは、一つの側面である。例えば、「扇風機」は冬には不要であるが、夏には必要になる。これが示すのは、それぞれの季節に於ける扇風機が自らの精神を規定する、ということである。冬の扇風機がそれを押し入れに片付けるような精神を形成し、夏の扇風機がそれを出すような精神を形成するのである。これは、物質が精神を規定するから、先の側面とは異なる側面である。しかし、精神と物質の側面の両方を合わせて現実なのである。つまり、精神は、物質を通じて自らの在り方を把握するのであり、物質も意識により可能になるのである。

以上の循環の話が「循環それ自体」である。これに対して、「循環させるもの」(意識)がある。この意識は循環を俯瞰する意識のようなものであり、精神と物質の関係性を形成するものである。意識は、精神と物質を区別するのであるが、区別された要素の繋がり(循環する運動)を知ることによって自覚できる。つまり、その意識に於いて対象(精神と物質)が現れていたということを自覚することができる。この意識も、同様にして対象を通じて自らを自覚するのであり、対象も意識により可能になる循環にあるのである。ここまでが「主観的真理」の話である。