>>58
われわれは水槽の脳だけで成立している可能性がある、という人もいますが、
わたしは水槽の脳だけでわれわれが感じているこの「主観」が再現できるとは思いません

クオリアは設定ではなく人間が主観を獲得した際におこる副産物です
また、主観を獲得する際に必要な言語を身につけてない人間に自由意志はありません
その人間はわれわれが「あたり前」と思っている行動ができません
そのことについて、その人間を「白痴」とか「精神の病気」などとひと言で片付けてしまうのは哲学的ではありません

われわれが感じている「主観」に、精神は密接にかかわってきます
理性は精神を切りはなそうとしがちです
しかし根本的に精神がわれわれを行動させていて、理性が関与しているのは部分的なものに過ぎません


われわれが人間の「精神」と呼ぶとき、それは主観というフィルターを通した概念です
たとえば「幸せな気持ち」というものは人それぞれだ、と言ってそれを否定するする人はそんなにいないでしょう
そうしたものは、ほとんどに人は曖昧にとらえているものだと思います

しかし「(人間を再現した)ロボットが幸せな気持ちになった」となると、そのロボットの製作者にはその構造が説明できるはずです
もしわたしがそのロボットを作るなら、「言語」は自己生成的に身につくようにします
初めからそのロボットの内部に「言語」というものと搭載しません
また「幸せな気持ちになる」プログラムもいれないでしょう
エンドルフィンとかドーパミンにあたる要素は必要ですが、
「幸せな気持ち」というものは言語を身につけ主観を獲得したあとに感じるものだからです

要は言語を身につけ「思考」ができなければ、未来予測ができません
将来に対する予測ができなければ、まだ実際に事が起こっていないのに「至福感」を感じることができません
そしてそれをプログラムとしてロボットに搭載しても、ただ機械的に早いタイミングで至福感が発動するだけのことになります
その至福感は「主観というフィルターを通した」感じにはならない、ということを理解していただきたいと思います