ある・ない、あった・なかった、によって、
公園のブランコの客観性が求まる。
客観といっても主観の呪縛があるので主観的客観であり、
主観世界における客観性の度合いである。
そう考えてしまうと、主観が主観確率的(ベイズ主義)なもので、
客観が客観確率的(頻度主義)であるとはいえず、
客観的確率でさえも主観世界における主観確率的なものの一部である。
経験や結果などいうものを排除するならば、それらをまとめて「情報」と呼ぶ。
公園のブランコの客観性も、「情報」によって更新されていく主観確率である。