>>27
「ある」は公園のブランコがあると信じていれば見ても見なくても言うことができるよ
前にそこで私が見たブランコを彼に「あるよ」って言うかもしれないけどそれって「あったよ」でも表現は同じだよ
でも私は見たことがないけど地図や写真にあるからって「あった」とは言えないし本当にあるかどうかはわからないから試しに見に行って「あるね」ってそれってやっぱり「あったね」と同じ表現じゃないかな
そこにブランコが「ある」は主観だけどそこにブランコが見えたから「あった」は客観かなって思うんだよねだって私そのブランコ作った覚えないし
見てきた私が「ブランコはあったよ」と伝えた彼は私の言葉を信じたとしてそれって彼の中では客観なのかな?
私が彼に言った後で彼がブランコを見に行って「ブランコはあった」と言ったのを聞いた私が思うのは「私が見てきた客観としてのブランコと彼の言っている「ブランコはあった」を聞いた私の主観が示しているものが概ね同一のものを示しているであろう」ってこかなって
最近は公園の遊具も撤去されることが多いし私が「あった」と言って彼が見に行って「なかった」と言ったら「今度は二人で一緒に見に行こう(私と彼の客観の擦り合わせ)」って言いたくなるよ
スーパーのチラシの特売品を見て実は特売品じゃなかったって今までなかったからこれからも「(主観として)概ねそうであろう」って思いながら買い物に行くよ!売り切れはたまにあるけどね