>>640
ライプニッツのモナドをWikipediaで読んだけどなんかモナドが他のモナドと「関係する事の可能」を「神に委ねてる」ように読めたよこれって「モナドが他のモナドと「関係するための条件」って無限背進にならないかな?
「裸の単子が「認識する」とはどういうことか?」「裸の単子は何故(裸の単子が認識しうる限りか否かを問わず)世界なるものを俯瞰することが可能か?」「裸の単子は何故「可能」を定義することができるのか?」についてどう思うか教えてもらえると嬉しいよ
私としては「それらは全て「私が想像しうる限りの「可能」であるから」つまりこれって「主観」だからだけど「主観的客観」にしたい場合に既存の権威の成果を道具として使わない限りには「概ねそうであろう」と伝えることができないかなって思うんだよ

「完全な円」は数学において定義できるけど物理学だと近似値の精度の程度が定義の基準になるから「物理学において完全を定義可能か?」は精度での無限背進が可能だから不可能だよ
何を基準とするかで「完全な合意」が可能かどうかが変わるよ「客観の完全な合意」が可能かどうかは「基準による」よ
じゃあこの基準って「概ねそうであろう」以外にどのように相手に伝えることができるかな?「主観的客観」は完全な合意の可能を「不明」とするよ