「客観」というのは虚構とか幻想とかのたぐいだと私は考えます。
たぶん普遍性のないものです。
例えば宇宙空間に過去未来多くの文明があるとして、すべての文明社会に「客観」という概念はあるのか、
「車輪」がなくても文明は成立するかもしれないように「客観」がなくてもそれなりの文明は成立し得る気がするのです。
『サピエンス全史』によると、文明の発達は「虚構」の理解と関わりますが、
生物はDNAに基づくものとは限らないようにして もっと違うかたちの文明もあるだろうし、
それでもおそらく大半の文明が「客観」という概念をもってはいるだろうけれども
しかし絶対必須ではないだろうというかんじです。
「A」という概念は「B」という概念との関係で成立できるものなんだろうけれども
「主観」は「客観」がなかったとしても「間主観」との関係で成立できると思われます。
さすがに自分が存在することに自覚のない知的生命体は無い気がするのですが、
「どこからでもない視点」を想定できないままでも文化的な営みは可能に思えるのです。

ただ>>45とのからみでいうと、
ひとたび「主観/客観」という観念にとりつかれると、それが普遍的なものに感じられる、
それが無いという状況を想定できなくなる、
一般的に言って変わった人と言える人が得てして自分を普通だと思っているように、
「主観/客観」も私たちが思うほど普遍ではない気がするのです。