>>808
「理由を添える」は私の前述の通り「概ねそうであろう」を添える事と私は受け取っているし、そのように理由を添えてきたよ。
「私はそう思う」は「美味しい」とか「不味い」とか個人の主観こそ表現できるけど他者に伝えるための表現ができないよ。
「私はそう思う」ということは常に言いたくなるんだけど相手に伝わらないときもあったりするよね。「美味しい」や「不味い」はラーメン屋の話で書いた通り、私の主観は必ずしも相手にとってのそうではない。そして私は「このラーメンは美味しい」に続いて「何故ならば」と相手に言うことができないよ。

主観と客観についての話が出る時に必ずと言っていいほど「視覚」が例に出されるんだよ。それは情報の多さから相手に説得(概ねそうであろうと)しやすいからだし、その情報の多さに飲み込まれて勘違いしちゃうかもしれないから「目を閉じて手で触った」場合で説明しても私の主張が破綻しないって事を相手にもわかってほしくて書いていたよ。

「私はそう思う」を相手に伝えるためにはどうしたら良いんだろう?私は道具を使うよ。それは言葉と論理だよ。
まず相手に伝えるには道具として言葉を使う必要があるよね。「「赤」と「red」が「同じ」であるとするため」には言葉を道具として使う時に皆が「私はそう思い」「皆はそう思うだろう」という私の主観が「概ねそうであろう」だから「赤とredは同じである」と言えるよね?少なくとも私はそうだと言うよ。
でも言葉だけではさっきの「リンゴ」と「サンふじ」の問題が起きる可能性があるよね。
これに似たような問題は今でも起きていてヤード・ポンド法とかは分かりやすい問題だよ。今でも度量衡で言葉の問題があるから国際単位系って基準を規定しているよ。
これは誰かがその人の主観として提示したものではあるけれど国際単位系として決められたそれは「概ねそうであろう」とするものだよね。国際単位系は主観なのかな客観なのかな?私はそれを「概ねそうであろう」としているよ。