ショーペンハウアーは、カントの哲学において»Ding an sich«/「物自体」といふ捉へ方がその「形式」として「客体性」といふ性質を帯びていることが見落とされてゐることを批判して、»Ding an sich«/「物自体」に»Wille«/「意志」を置き換へてはゐるものの、「意志の働きの止揚」をあらかじめ究極に求められるべき理想とし、なほかつ、その「意志の働きの止揚」としての»Resignation«/「あきらめ」を、「本当は既に実現されてあるはずの静止」の如き様態として物象化して捉へてゐるため、結局のところ、ショーペンハウアーは、その「思想」において、自身があり得ないと気づいてゐるはずの「客体化された物自体」といふ本当にはあり得ないものを「たの(頼)みにする」/"to believe"ことに堕してゐるのである。