>>229続き
さて、ではなぜ意識は脳という神経細胞(部分)の総和を超えた何ものか、つまり「全体(意識)>脳(部分の総和)」などという不等式が出てきてしまったのかを考えよう
その理由は範疇誤認にある
「意識」であれ「循環」であれ「呼吸」であれ「走る」であれ、これらは存在論的に<機能>という審級の次元に並べられるべきものである
それにもかかわらず、これら<機能>を脳や心臓や肺や車という存在論的に<物質>という審級の次元に並べられるべきもので説明しようとしても説明できないのは当たり前すぎる話だ
つまり<物質(脳、心臓、肺、車)>と<機能(意識、循環、肺、走る)>という異なるカテゴリーにあるものを混同するという範疇誤認に陥っているわけである
そして彼らはこう言う「脳という物質で意識が説明できないのだからこれらは異なる独立した存在だ、物質とは異なる実体たる霊や魂といったものが身体に結合している(心身二元論)」と
しかし、脳をいくら分解しても「意識」がでてこない(説明できない)のは車をいくら分解しても「走る」がでてこない(説明できない)のとまったく同じ話でしかない