私が数理的なものに拘るのは、私にとって、知性の定義が主観の排除、
すなわち、客観への指向性そのものだからである。よって、人文知の
大半は主観や個人的信念の表明なので、それは知性というよりは、
好事家の道楽の類か児戯に等しいものと私はみなしているからである。

この点において、ひろゆきの「それはあなたの感想ですよね」は的を得た
指摘である。人文知が往々、何の生産性もない不毛地帯と化しているのは
それが主観的な感想や心情の吐露に過ぎないものとなっているためである。
不毛なイデオロギー対決も同様である。それは個人的嗜好の問題である。
それは牛乳とトマトジュースのどちらが好きか、朝型人間か夜型人間かと
いうような話に過ぎない

たとえば、今、取り上げたニュートン法などは、そうした主観性を排除した
ロジックの一例であると言える。カントはニュートン力学を手本にその
認識論を構築したと思われるが、やはり数理的な裏付けのないものは、
往々にして、主観的な感想文やポエム、オカルトの類にしかならないの
ではあるまいか