しかし、最近なんだかネットでN国信者の姿を観る機会が多くて、彼らをみるだに連想せざるをえないのはやはり大江健三郎の政治少年死すである。

どうせネット民なんて、フロイトもフーコーも大江もアーヴィングも死ぬまで読む気はないんだろうし、性と政治がアイデンティフィケーションにおいてなぜこうも頻繁に交差するのか?って自分の脳味噌の中で自動的に動いてる機構すら疑わないんだろうけど。