そして、それに気づいたなら、「あきづしま」がなぜ、"a bounded territory of continuous satiation"を表現していると考へられるのか分かる。
さらに、「あきづしま」に対応するような捉へ方は、ソロヴィヨフの『三つの対話』にも出てくる(どこだったか探すのが面倒なので、引用しないが)。