反出生主義者(というかベネターをありがたがっている人たちw)は「生まれなければ主体が存在せず、苦も存在しない」と言いますが、それがなぜ「善い」のかさっぱりわからないwのはともかく、もしそうなら全く同じ理由で「死ねば主体が存在せず、苦も存在しない」わけです。それなのになぜ自分は死なずに「生まれる」選択をし続けているのか、さっぱり理解できません。0歳の人が生まれるのは悪いが、1歳や20歳や50歳の人が「生まれる」のは善い、なんて、何を根拠に言えるんでしょうかw

ベネターはこの批判を回避するために、>>89のように「苦の不在は善い、快の不在は悪くない、しかし快の剥奪は悪い」とか、意味不明の主張をしていますが、死は快の剥奪ではありませんし、そもそも「快の剥奪」なんて概念に、意味はありません。快苦というのはその時その時の心的状態であって「物」ではないんで、持ち運んだり剥奪したりなんて、したくてもできないのです。(そんなことができるのはビッグマムくらいでしょうw)

今の快苦は次の瞬間には消滅して(それと似た、あるいは大きく違う)別の快苦が置き換わり、死ぬまでそれの繰り返しです。心は空模様と似たようなもので、「今」の状態は二度と繰り返されず、絶えず変化を続けます。
快の剥奪というのは、雨が降ってきたのを「晴れの剥奪」と言うのと同じくらい、無意味な表現というしかありません。