>>314

> 反出生主義の認識としては、存在と苦は不可分であり、その苦の一例として社会問題がある
この命題は反出生主義の中核だが、形而上学的信念(ドグマ)にすぎない。

・論理的証明が不可能(反証不可能性)
存在=苦を「絶対」とする主張は、経験的にも理論的にも検証不能。
苦しみを感じる存在があるからといって、すべての存在を「苦」と断定するのは演繹的暴走。

・快や充足といった正の経験の扱いが恣意的
ベネターに代表されるような反出生主義は「快は存在しないよりマシだが、なくても問題ない」とするが、これは負の価値に過剰な重みを与え、正の価値を軽視する二重基準。

・価値の選好を倫理命題にすり替えている
「苦があるなら存在すべきではない」はあくまで価値判断であり、普遍的な倫理原理ではない。よって、それを絶対化して出生否定を導くのは、主観的価値を客観的倫理に見せかける論理詐術である。

> 反出生主義が意味をなさなくなるのは、苦痛という主観が完全に消滅したとき
・この主張は逆に反出生主義の無限責任性という問題を抱える。
苦痛が完全にゼロになることは、現実的にも論理的にも不可能。よって、反出生主義は永遠に終わらない否定論の再生産を自ら義務化する構造を持つ。つまり、理想条件が原理的に達成不能であるため、反出生主義は“永遠に敗北し続けるだけの絶望装置”になっている。
このような構造は、倫理体系というよりも自己言及的な虚無回路であり、建設的倫理論としての正当性を著しく欠く。