>>319
(3) 「一般的な論理(倫理)を持つ人」との同等性この反論は、反出生主義者も「一般的な論理(倫理)」を持つ人と同等に扱われ、プールの改善責任を負うべきだと揶揄しています。
しかし、この主張は以下の理由で的外れ
「一般的な論理(倫理)」の誤解:プールの例えにおける「一般的な論理(倫理)」は、苦痛を減らすために改善努力を行うアプローチを指す。
これは反出生主義の「存在否定」と対比するための概念で、特定の個人やグループを指すものではない。
反論は「一般的な論理(倫理)を持つ人」を具体的な主体として誤読し、例えの抽象性を無視している。
反出生主義の論理的孤立:反出生主義は「苦痛の完全除去」を理想とし、改善努力を無意味とする立場を取る。
例えは、この立場が「一般的な倫理的アプローチ」(改善を試みる)と比べて極端であることを示している。反論が「同等に扱うべき」と主張するのは、反出生主義の特殊性を覆い隠そうとする試み。

批判の問題点:この主張は、反出生主義の独自性を無視し、「みんな同じ責任を負うべき」という一般論に逃げている。
これは論点の矮小化であり、反出生主義の倫理的立場(出生は害悪)を正面から弁護していない。
反出生主義者が「プールをきれいにする責任」を引き受けるべきかどうかは、例えの焦点ではなく、反出生主義の「存在否定」が論理的に一貫しているかどうかを問うのが主眼。反論は議論の核心をずらしている。