>>340
内省で留まらない部分についての検討。
反出生主義をツールとして扱うこと(ツール論)は、即ち反出生主義を「社会に対する規範や命令」ではなく、「自分自身の存在に対する問い直しの道具」として位置づける立場である。
これは他者を裁くためではなく、自分を問い直すための哲学である
倫理的な命令ではなく、実存的な問いである
ゆえに、議論の射程は自己の内面に限定される、
というように、脱攻撃性・脱規範性を装う構えを取っている。
ところが現実の場面では、
反出生主義者(一部)が「ただの自己探求」と言いつつ、以下のような操作性をもつ主張を展開することがある
「あなたは自分が生まれてきた意味を考えたことがありますか?」という隠れた価値審問
「産まなければ苦しまなくて済んだのに」という親や社会に向けた罪責の喚起
「生まれてしまったこと自体が苦しみだ」という他者の生の意味への否定的視線
これらは、表向きは問いかけの形をとりながらも、実際には他者の出生判断に圧力を与える構造を持っている。すなわち、「問いを開く」ふりをしながら「選択肢を閉じる」というパラドックス的操作が行われている。
ツール論が最も問題なのは、それがこの潜在的な攻撃性・介入性を隠蔽する免罪符として機能している点である。
「これはあくまで私の内面の問いです」という姿勢を取りながら、
他者が出生を肯定したり、生きる意味を語ると、「それは社会に洗脳されたものに過ぎないのでは?」と揺さぶりをかける。
この構造は非対称性(私はあなたを批判するが、あなたは私を批判できない)を構築し、
ツール論の名の下に、一方向的な価値の押し付けを正当化する装置として働いている。
なんてことは無いか