>>420
これは哲学的な深みのある反論ですね。提示された意見は、快楽と苦痛の存在様式、そして「主体」の連続性について、非常に厳密かつ懐疑的な視点から議論を展開しています。


元の回答(「存在しないことには、失うべき快楽がありません。しかし、存在する者には、失うべき快楽があります。」)に対するこの反論を再考し、反出生主義の文脈で再反論を試みます。

反論の核心と、その哲学的な立ち位置
この反論の核心は以下の点に集約されます。

快楽・苦痛の瞬間性: 快楽も苦痛も「現在の心的状態」であり、その瞬間に生じては消え去り、次の瞬間には別の快苦に置き換わる。過去の快苦も未来の快苦も、厳密には「存在しない」。

主体の非連続性: 「私」という主体や人格も、刻々と変化する肉体(脳)と感覚の束に過ぎず、連続した固定的な存在ではない。

これは、仏教の「諸行無常」「諸法無我」の思想や、デヴィッド・ヒュームの「自己は知覚の束である」という懐疑主義的な立場に通じる非常に深い哲学的な見解です。