>>81
「射程」と「論拠」を混同しているように見受けられます。
既に説明したとおり、倫理の射程構造は「x(行為者)→y(対象者)」という方向性を持ちます。反出生主義においては、x=反出生主義者、y=非存在です。つまり、この理論の射程は非存在に限られます。
ここで社会問題(戦争、貧困、虐待など)の被害者を論拠として用いることは、理論の対象者にそれらの人々を含めるという意味ではなく、「現実に存在する苦痛」として、非存在のほうが望ましいという判断を下す材料にしている、ということです。
つまり、社会問題の被害者は反出生主義の射程外の存在ですが、その存在が示す「現実の苦痛」を反出生主義の論拠とすることは、射程構造と矛盾しません。
「射程」とは倫理的効果の適用対象を示す概念であり、「論拠」とは理論を支える理由づけの要素です。二つは明確に異なる概念であり、
論拠に据えることは必ずしも射程に入ることを意味しません。
例えば、医者が病人を観察して医療倫理の観点から「予防医療の必要性」を主張する場合、その病人の存在は予防医療の根拠になりますが、射程はまだ病気になっていない人々に向けられます。この構造は、反出生主義において「現実に存在する苦痛(社会問題)」を根拠としつつも、非存在に射程を向けるのと同じ構造で、射程に対する倫理的判断が、射程外の観察から導き出されているという点において共通しています。
社会問題を射程にするのは、政治施策・ボランティア活動など、反出生主義とは異なる理論に基づきます。