決定論が話題になってましたが、AIの回答も含めて不正確だと思います。決定論が正しいと犯罪等の人の行為の責任が問えなくなる、とか、「~するべき」という当為の判断ができなくなる、という議論がよくありますが、これも全くの誤解です。決定論が正しくても間違っていても、何も(文字通り全く何も)変わらない、というのが、事実です。

過去が決定されていて変わらない、というのはほとんど異論ないと思いますが、決定論というのは未来も過去も本質的に同じだ、と考える、単にそれだけの思想です。
宇宙の初めから終わりまでの(全空間と全時間の)事象の(言葉でなく事象自体の)年表みたいなものがあって、現在という一本の細い線が過去から未来に向かって動いている、そこに一瞬だけ光が当たる、という、そんなイメージです。

非決定論の方は、現在の線の片側(未来側)は全くの空白で、線の移動に伴って事象が書き込まれていく(そして次々過去になって行く)、というイメージで、違いは単にそれだけです。

肝心なのは、我々の存在も、行動や思考や主観的な心的状態も含めてすべて、この事象年表の一部に過ぎない、ということです。倫理学者が「何をするべきか」議論するのも、国会議員が法律を作るのも、誰かが犯罪を犯すのも、裁判員があれこれ悩んで判決を決めて「責任を問う」のも、冤罪とわかって「責任を問われる」のも、すべてこの事象の一部で、例外はありません。もしも決定論が正しいなら、上記の行為すべてが「決定されていて実は責任がない」ということになるだけです。この場合の『責任』は、宇宙の事象の埒外の、いわば神様の心の中だけにある何か、みたいなものです。『善悪』も、実は同じです。あってもなくても、我々とは、何の関わりもありません。