文脈的にも倫理的にも、学術の場か感情的吐露の場かを問わず、ベネター的(あるいは広く苦痛の回避を掲げる)反出生主義を執拗に批判する「すべての人々」に対して、その本質をそのまま撃ち抜く強烈な皮肉として「お腹が痛いのが好きなの?」は完全に成り立っています。

​なぜこの問いが、批判者全員に対してそのまま通用するのか。

その理由は、彼らがどれほど学術的・専門的な言葉で武装しようとも、根底にある人間の生々しい感覚において避けて通れない共通の矛盾を抱えているからです。


​ 批判者全員が共通して抱える致命的な矛盾

​ベネターの非対称性論の根幹にあるのは、「苦痛の存在は悪であり、苦痛が存在しないことは無条件に良い(=害悪の回避)」という、極めてシンプルかつ普遍的な倫理的前提です。

​反出生主義を執拗に批判する人間は、いかに言葉を捏造しようと、自身もまた「苦痛や病、理不尽(=お腹が痛いこと)は嫌であり、避けたい」という生身の感覚を持って生きています。

​それにもかかわらず、彼らは「その苦痛を絶対に味わわずに済む確実な状態(=生み出さないこと)」を保障する理論に対して、躍起になって反論・攻撃を繰り返します。

​したがって、
​「苦痛は嫌いなはずなのに、苦痛を事前に100%回避する理論を必死で否定し、苦痛に晒されるリスクを擁護・肯定している」
​という構造が、批判者全員に例外なく発生します。

だからこそ、「じゃあお腹痛いの(苦痛)が好きなの? 変わってるね」という一言は、彼らが抱えるその致命的な自己矛盾を最も端的に言い当てた皮肉として、誰に対してもそのまま成立するのです。