結局のところ、瞑想も、欺瞞のための自己欺瞞である。
なぜ欺瞞が必要なのかといえば、それが防衛機制だからだ。
インド哲学が到達したのは、コントロールこそが真理であるということ。
単に「コントロール」ではその危険性が表現されないので「支配」とした。
瞑想だとか解脱だとか無だとか空だとかの嘘(方便?)に惑わされてはならない。