仏教には4聖諦があり
苦諦で自分の苦しみを感じて
集諦で自分の苦しみの原因を感じて
滅諦で自分の苦しみがない境地を感じて
道諦で自分の苦しみがない道を進む
みたいな感じになっている

だけど、悟りは本当はない
(あえて色々な功績を無視して悪く言わせて貰うが)
現代の仏教のように、ないものをあると信じてその先に進み続ければ
どんなに素晴らしい道でも何時かそれはただの惰性になって本質というものがなくなってしまう

そして、その惰性を取り払う為には
悟りなどないとあえて感じる必要がある
自分が進んでいる正しいと思っている道をそれでも一旦疑う必要がある
道諦の先に、それが惰性になってしまった時に、道諦はまた苦諦に帰って来るのだと思う