そもそもちゃんと読んでれば「一切の純粋なものに、ことごとく仏性を見る」という文章だとわかるはずなんだよな
別時代に他の翻訳僧が同じ言葉を翻訳した部分は「山川草木悉皆成仏」無我、無私に如法にある存在の話を道教の観点から言葉にしている
そこ読んでるなら涅槃経とかだとその後四顛倒が出てくるでしょ
常でないものを常だと思い、楽でないものを楽だと思いなし、我でないものを我だと取り違え、浄らかでないものを浄とみなす
これが人間の通常営業だって
「俺たちには仏性があるぜヤッター!」という読み方なんて絶対できるわけない