>>57
下手をすると言葉遊びになってしまうが・・。
親鸞聖人も「本願他力をたのみて自力をはなれたる」と言っている。
「捨てる」ではなく「はなれる」だが、自力がある前提で言っている。

浄土真宗的には「自力」は迷いであるから、存在論的に「在る」もの
でなはいという解釈は成り立つが、その迷がはなかなか捨てられないのだ。