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言葉がむなしいんじゃなくて、差異に無自覚なことで起こる行き違いをむなしいものにしてるものは何かって話でね

まず釈尊の仏教にあったのが十二縁起、十二因縁と四諦八正道でしょ
無明 人間はいつでもいつの間にか思い込みと勘違いの中を生きていて、関係性の中で有頂天を求めることでかえって地獄餓鬼畜生(阿修羅)人天、五悪趣へ趣き六道を輪廻し経巡っている
この自己本位のカースト的世界を作ろうとしている心を親鸞は自力と定義している
そしてその無明とは一切を皆苦にしている根本であると伝え、無明でない道を知らせ自覚、四諦に向かわせ身口意を少しはあたらしくさせる力、を他力と定義した
他力本願てのは仏力本願なんやね
そして親鸞自身は他の修行者を否定してるわけでなくて、「自分にはどれだけ修行しても自力を誇り頼む気持ちは無くならなかった、他力本願の道しか無かった」と表明している