経蔵は釈迦の言葉を収めたとは言え、実体はそうでいないことは
研究により示されている。
経蔵の中にさえ、解釈文が含まれていると言う。
また経蔵の中では、互いに齟齬もある。
だから仏教では、経典を読む行為そのものに解釈という行為が含まれる。
つまり論争は必須。

キリスト教福音派のように、聖書を神の言葉として絶対視し、
無誤であるとはしない。