差し出がましいようですが理解できない人が多いと思われますので素人にも分かるように>>325をAIに翻訳してもらいましょう。

「どんな考え方も、最初に何かしらのマイルール(前提)を決めてスタートするものだ」という擁護論は、たしかに一般的な話としてはその通りです。でも、いま問題になっているのは**「ルールを決めたこと自体」ではなく、「そのルールが、自分の出したい結論から逆算して、都合よく作られていること(結論依存性)」**です。だから、その擁護はピントがズレています。

ベネターの理屈は、**「自分が最初に選んだお好みの天秤」と「その天秤で測ったから正しいという言い訳」が、お互いに手を握り合ってグルになっている状態(構造的な循環性)**なのです。
このお好みの天秤というのはもちろん非対称性論のことで、そこに潜む二重基準が「お好み」と言われる理由です。

それから、もう一つ忘れてはいけない大事な点があります。
ベネターは追い詰められると「これはただの私の価値観(個人の感想)です」と言い訳したそうにしますが、彼はもともと、自分の本の中で**「これは私独自の偏見ではなく、みなさんも普段からうっすら感じている『当たり前の感覚(間主観的な直観)』を説明する正しい理論ですよ」**と、みんなの代表みたいな顔をしてこの話を持ち出しました。

誰もが納得する「普遍的な正しさ」を装って、全人類に「子供を産むな」というデカいルールを押し付けようとしたのですから、あとになって「ただの個人の好みの天秤でした」と逃げるのはフェアじゃありません。だからこそ、「その天秤、最初から歪んでるよ」と厳しく突っ込まれるのは当然なのです。