>>589の論を展開する。


ベネターは、非対称性論の非存在シナリオについて快楽不在を悪とするならば、苦痛回避との非対称性は維持できず、幸福な存在を生み出す義務が導かれてしまうと主張するが、この議論には問題がある。

まず、この反論は「存在すれば必ず幸福になる主体」という現実には存在しない仮想的な前提に依存している。現実の出生は、単に幸福という利益を与えることではなく、同時に苦痛や不利益を経験する可能性を持つ主体を創造することでもある。したがって、快楽と苦痛が対称評価である以上、存在することが一方的に優越することはなく、「生むべし」という倫理規範は導けない。(✳︎当然、同様に「生むべからず」という規範も導けない)

また、仮に「存在すれば必ず幸福になる主体」を認めたとしても、価値判断と義務は別の問題であり、そこから直ちに出生義務が導かれるわけではない。
ある状態が「より良い」と評価されることと、その状態を実現することが個人の義務になることは同一ではなく、幸福な人間が増えることを望ましいと認めても、そこから直ちに「幸福な人間を創造すべき」という積極的義務が発生するわけではない。

ベネターの反論は、非存在者の快楽不在を損失として扱うことを生殖義務へ結びつけることを前提としている。しかし、この主張は倫理的帰結として必然的に導かれるものではない。