>>911
総括
この文章は、「批評家は初期の爆発力以降、システムを再生産するだけの存在になりがちである」という鋭い洞察を含んでいる一方で、自身の好みに合わない、あるいは変化の軌跡を追いきれていない論者(宮台真司など)の業績を不当に矮小化・切り捨てるための「都合の良いレトリック」として、その枠組みを雑に適用している危うさがあります。
「東浩紀だけが例外的に新しいことを書いている」という結論を導くために、他の論者たちのその後の持続的な営為を意図的(あるいは無知によって)視野から外している点において、批評としてのフェアネスと精緻さを欠いており、議論としてはやや安易であると言わざるを得ません。