>>231
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さらに重要なのが衡平性です。

韓国側の構成を最大限好意的に整理すると、
「1965年協定は有効」 →「日本から韓国への経済協力も有効」 →「しかし日本の植民地支配に由来する個人の慰謝料請求権だけは残存」 →「したがって韓国国内で日本企業に追加的な賠償を命じることができる」となります。

これは、法的に不可能とまでは言えませんが、かなり強い説明責任を負います。

なぜなら、1965年の交渉で韓国は日本から3億ドルの無償供与と2億ドルの借款を受ける枠組みを得ており、協定自体が請求権問題を「完全かつ最終的に」処理する仕組みだったからです。

つまり「日本から韓国への5億ドルは個人への補償ではない」という命題と、

「だから日本企業・日本政府に対する個人請求権は国際法上何も処理されていない」

という命題は全く別です。
むしろ前者を認めても、国家間の一括清算という構造は残ります。

ここでさらに韓国側に難しい問題が出ます。

仮に韓国が、1965年の経済協力資金は賠償・補償ではなく、経済協力にすぎない

と強く主張するなら、「ではなぜ日本との請求権問題について第2条1項が『完全かつ最終的に解決された』と明記されているのか」という問題が生じます。

逆に、
第2条は国家間請求だけを処理し、個人の慰謝料請求権は残した

とするなら、第2条3項の「両国及びその国民の請求についていかなる主張もできない」という文言をどう説明するのかが問題になります。
ここが韓国側の法理のかなり苦しいところです。

そして「過剰な補償」という表現については少し注意が必要です。5億ドルをそのまま「日本が韓国人被害者に支払った補償」と扱うのは正確ではありません。 法的には日本から韓国政府への経済協力であり、韓国政府がその資金をどのように使用するかという問題も含まれていました。