福田和也の思想的なところというのは、かなり簡単であろう。ポストモダニズム的な無を日本と言っているだけで、80年代とか、もっと言えば西田の晩年と同じことをやっているだけであろう。ただ、あのようなパフォーマンスというのはいったい何だったのかというのは、それなりに謎ではある。文壇の制覇みたいなのを、東しゃんみたいに独自メディアを立ち上げるとかせずに、あるいはサブカル論壇を立ち上げるとかせずにやろうとしたらああなるということなのだろうが。