筒井康隆の『無人警察』および断筆宣言を巡る、絓秀実や渡部直己らの批評的論点と現代への影響について詳しく解説してください。

Gemini

1993年に起きた筒井康隆の短編小説『無人警察』に対する日本てんかん協会からの抗議と、それに伴う角川書店(当時)の教科書・単行本自主規制、そして筒井氏の「断筆宣言」は、戦後日本の言論・文学界における最大の「表現の自由 vs ポリティカル・コレクトネス(PC)」の衝突事件でした。
この問題に対し、当時鋭い評論を展開した批評家の絓秀実(すが・ひでみ)や渡部直己(わたなべ・なおみ)らは、単なる「言論弾圧批判」や「差別表現擁護」を超えた、近代文学と言語権力を巡る本質的な議論を提起しました。
1. 絓秀実・渡部直己らの主要な批評的論点
当時、絓秀実や渡部直己、また共著『超言葉狩り宣言』(1994年)などに集った批評家たちは、主に以下の3つの論点でこの問題を批判的に構造化しました。
① 「自主規制(事象の制度化)」への批判
絓秀実らは、出版社やメディアが当事者団体からの抗議を恐れて先回りして行う「自主規制」の仕組みを強く批判しました。彼らに言わせれば、自主規制とは当事者への配慮ではなく、「商業的リスクを回避するための保身」であり、出版資本による言論の市場管理に過ぎません。抗議者と表現者の直接的な対立・議論を立ち消えさせ、事無きを得ようとする出版界の官僚主義・事仏主義(ことなかれしゅぎ)を露呈させたと指摘しました。
② 「当事者権力(PC主義)」の非神聖化とメタ言語の喪失
ポリティカル・コレクトネスや差別糾弾の運動が、「被差別者(被害者)の立場に立つ者は常に絶対的な正義であり、一切の批判やメタ言説を許さない」という**「当事者性の権力化」**に陥っている点が突かれました。
文学や批評とは、言葉の多義性や人間の暗部、制度の矛盾を暴く「メタ的な言語(言葉についての言葉)」であるはずです。しかし、当事者運動の言葉が「不快か・倫理的か」という一元的な基準(道徳主義)で文学作品を裁くとき、言葉から「多義性」や「表現の可能性」が剥ぎ取られ、平板な道徳コードへと回収されてしまうことが懸念されました。