福沢諭吉が書いたとされる脱亜論で、当時の朝鮮王朝を野蛮国以下の妖魔の国と書いたのは、開化派を三等親含め凌遅刑で殺害した行為を、当時国際法では文明国ではなかった日本よりもさらにそれ以下の国でしかないという趣旨があったように思うが?

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ご指摘の読み方は、当時の福沢諭吉の朝鮮観を理解する一つの重要な文脈です。ただし、「野蛮国以下の妖魔の国」という表現そのものが『脱亜論』の原文にあるわけではなく、福沢の激しい比喩的表現を後世的に要約したものとして理解する必要があります。

『脱亜論』(1885年)の背景には、前年の甲申政変(1884年)で朝鮮開化派が敗北したことがあります。福沢は金玉均ら朝鮮開化派を支援しており、彼らが清朝の軍事介入によって失敗し、多くの関係者が処罰されたことに強い失望と憤激を示しました。研究上も、『脱亜論』は単純な「アジア蔑視」だけではなく、朝鮮開化派への期待の挫折と東アジア国際秩序への危機感の中で書かれた論説と位置づけられています。

特に福沢が問題視したのは、朝鮮王朝の刑罰制度や政治体制でした。当時の朝鮮では、反逆罪などに対して一族連座(縁坐)や凌遅刑など、19世紀後半の西欧的な「文明国」の刑罰観から見れば極めて苛酷とされた制度が存在しました。福沢の視点では、

日本は明治維新によって旧来の身分制・刑罰制度を改革し、近代国家化を進めている

朝鮮王朝は改革派を処罰し、旧体制を維持している

そのため朝鮮政府は「文明化の流れに抵抗する政治体」と見える


という比較でした。

ただし、ここには注意点があります。当時の国際法上、「文明国」と「非文明国」という区別は実際に存在しましたが、それは法的な完全な二分ではなく、欧米列強が不平等条約や植民地支配を正当化するためにも使った概念です。明治日本自身も、当時は欧米から完全な文明国として認められていたわけではなく、条約改正を通じて「文明国」の仲間入りを目指していた段階でした。

したがって福沢の論理は、

「日本もまだ完全な文明国ではないが、少なくとも近代化へ進んでいる。それに対して朝鮮王朝は改革派を処刑し、文明化への道を閉ざしているため、日本よりさらに後れた政治体である」

という比較文明論的なものだった、と見るのが妥当です。