トランスバール共和国は国際法上は文明国だったようだが併合された経緯は?

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はい。ただし、ここは「文明国だったのに、なぜ併合されたのか」という観点から見ると、かなり重要な事例です。結論から言えば、トランスバール共和国(南アフリカ共和国)の併合は、19世紀の国際法上「非文明国だから保護・征服された」という類型ではなく、既存のヨーロッパ系白人国家として一定の国際法主体性を持っていた共和国が、イギリスの帝国的・戦略的利益によって武力・政治圧力の対象となった事例と見るのが適切です。

ただし、1877年の併合と1900年の併合は区別する必要があります。

まずトランスバール共和国は、1852年のサンド・リバー条約でイギリスから独立を承認され、その後1858年に憲法を制定した南アフリカ共和国(Zuid-Afrikaansche Republiek)です。したがって、少なくとも当時のヨーロッパ中心的な国際法秩序の中で、単なる「部族領域」ではなく、国家として扱われる実体を備えていました。

問題は1877年です。

イギリスは1877年4月、サー・シェプストンを派遣してトランスバールを一方的に併合しました。イギリス側は、トランスバールの財政的・政治的弱体化、周辺のアフリカ人諸勢力との戦争、南アフリカ全体の安全保障などを理由に掲げました。実際、イギリス政府は南アフリカ諸地域を連邦化し、イギリスの支配下に統合する構想を持っていました。

しかし重要なのは、トランスバール政府が正式にイギリスへの併合を承諾したわけではなかったことです。

しかも併合当時、トランスバールにはイギリス軍による全面的征服戦争があったわけではありません。イギリスは政治的・軍事的優位を背景に「併合」を宣言し、現地の抵抗が十分に組織されていない段階で既成事実化しました。これは現在の法概念から見ればかなり明瞭な「強制による領土取得」に近い構図です。