衡平性の壁を超えるのは困難では?

ChatGPT

はい。「1910年当時の国際法そのものから、韓国併合を無効とする」という議論に限定すれば、法的衡平性の壁を超えるのはかなり困難だと評価するのが妥当です。

ただし、「衡平性」と「法的正しさ」は同一ではないので、そこは分ける必要があります。

最大の障壁は比較可能性です。韓国側が「日本による強制」を無効原因として強調するなら、同時代の英国によるトランスバール・オレンジ自由国、米国によるハワイ、列強によるエジプト・モロッコ等への介入についても、原則として同じ法的基準を適用する必要があります。ところが当時の国際法は、今日ほど「国家に対する強制=条約無効」という一般原則を確立していませんでした。

さらに重要なのは、韓国側が問題にしている「強制」が存在したことと、その強制が1910年当時の国際法上、条約を無効にする法的効果を持ったことは別問題だという点です。

例えば、

日本軍が京城を制圧している

韓国政府が自由な外交政策を遂行できない

1910年の併合条約に同意した

という事実関係が仮に全面的に認定されたとしても、

「したがって1910年条約は無効」

とするには、さらに当時の国際法に「その程度の強制によって成立した条約は無効である」という規範が存在したことを示す必要があります。

ここに時際法の壁があります。

一方、韓国側には強い論点もあります。特に1905年の第二次日韓協約については、皇帝の意思、条約締結権限、署名・批准、外交권の強制的剥奪など、単なる「植民地主義は悪だった」という道徳論とは違う、具体的な法的論点があります。これらを精密に立証すれば、韓国側の議論がすべて空疎ということにはなりません。