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フランス・チュニジア、1881年
1881年、フランスはバルドー条約によってチュニジアを保護国化しました。
これは「併合」ではなく「保護国化」なので韓国とは違います。しかし、フランス軍の軍事的優位を背景にベイ(君主)に条約を受け入れさせたという意味で、「軍事的圧力下の条約」という比較には使えます。
ここで重要なのは、当時の国際法がこうした「不平等条約」を直ちに無効としていたわけではないことです。
19世紀末~20世紀初頭の「unequal treaties(不平等条約)」は、欧米列強とアジア・アフリカ諸国との間で広く存在しました。Oxford Bibliographiesも、このカテゴリーが19世紀末から20世紀初頭に特に広く存在したことを整理しています。
つまり、
「軍事力の圧倒的格差」 + 「相手国への政治的圧力」 + 「一方的に有利な条約」
が存在するだけで、当時の国際法が当然に条約を無効としたわけではありません。
これは韓国側の「強制=当然無効」という議論に対するかなり重要な反証材料です。

フランス・モロッコ、1912年
さらに韓国併合に近い時期の例です。
1912年のフェズ条約で、モロッコはフランスの保護国となりました。
このときモロッコのスルタンは完全に自由な外交環境にあったわけではありません。1911年にはフランス軍がフェズに進軍しており、スルタンの置かれた状況は極めて厳しいものでした。フェズ条約は1912年3月30日に締結されています。
これは1910年の韓国併合からわずか2年後です。

しかも条約は、

「フランスとモロッコ政府との合意」

という形式を取っています。

つまり、

軍事的・政治的圧力下に置かれた非欧州国家の君主が、欧州列強との条約によって主権を大幅に制限される

という点で韓国との比較性が高い。

ただし、モロッコの場合は保護国であり、スルタンの形式的主権は存続しました。韓国は1910年に主権そのものを日本へ移転したため、ここも完全な同型ではありません。